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合理性とミニマリズム
ミニマリストは一般的に合理的なことが好きだ。
というか、今の時代、多数決だって合理性の一種だし
(結果が合理的な答えかどうかは別だけれど)、
合理的なことがキライという人の方が少数かもしれない。
アメリカの合理性は進んでいる。
食器洗い機や乾燥機などの時短アイテムがかなり普及しているし、
人口は3億人以上いるため、大量生産ローコストの文化が根付いている。
国土が広く、人もモノもそう簡単に行き来ができないからか、
ペーパーレスを好み、メールなどのリモート文化も進んでいる
(アメリカの面積は日本の約25倍だ)。
驚いたのは、アメリカで銀行口座を作るのに
ハンコがいらないどころか、申し込み用紙すらなかったこと。
全てがPCで完結し、サインも✔︎ボックスをマウスでワンクリックするだけ。
ペンすら持たずに口座が出来た。
ニューヨークで働くOLの財布の中身、クレジットカードの枚数など
合理性への反発
こういう話をすると、いやいや乾燥機は洋服が痛むし、
手仕事の美しさだってある、紙のぬくもりには敵わない…
合理性ではカバーできないモノが世の中にたくさん存在する、
という声が必ず出てくる。
全くその通りだと思う。
人間の人間らしさや、奥深さは不合理なところにある。
まさに「予想どおりに不合理」
好きのヒントは不合理にあり
この「合理的」という言葉への言い知れない反発は、
いつも起きるわけじゃない。
しかも人によって様々だ。
掃除機をかけるのが嫌いな人ならば、ルンバは合理的だし、
部屋の隅っこや段差の溝はキレイにならないから、
ルンバは不合理、むしろホウキとチリトリの方が省エネかつ合理的と
いう人もいるだろう。
結局、”アンチ合理センサー”がふつふつと発動するのは、
自分の好きな分野なのだと思う。
私の場合、たとえば、どんなに常備菜が流行っても作るのが少し面倒でも、
夕食は毎日違う味のモノを食べたい派だし、
「XXの服が安くてオススメ」と言われても、
自分のスタイルに合わないから買わない。
もちろん、常備菜が悪いわけでも、XXの服が悪いわけでもない。
単純に、自分の中に合理性の壁を越えられないコダワリがあるだけ。
たいていの人には、そういう些細なコダワリが一つくらいはある。
そこに、他人と違う自分の大切な情報もあるのだと思う。
好きを見つける方法
好きってすごく難しい。
「小さな頃から好きなことはなんですか?」とか、
「好きで夢中になれるものを見つけよう」とか
自己啓発本では、好きを深く掘り下げようと
お決まりの文句で言ってくる。
たしか心屋仁之助さんの本の中で、
もしも白米より玄米の方が好きだとして、
なぜ好きか答えられますか?
よりヘルシーだから?
味が滋味深いから?
では仮に、白米の方が栄養が多く健康に良いとしたら
それでも玄米を好きですか?
みたいなことが書かれてあって、
「なるほど、好きって難しい…」と思った記憶がある。
▽多分この本だったと思うけれど、違うかも。でも良い本でしたよ
でも、考えてみれば、異性を好きになるとき、
多くは理屈では語れない。
合理性だけで人を好きにはなれないからこそ、
遠距離恋愛したり、婚活パーティーで年収いくらと言われても
一向に付き合う気になれなかったりする(…と勝手に想像している)
好きなものの理由を理論的に説明できたら
ステキだけれど、そうしたものがまだ見つかっていなくても、
自分にとって合理化できない物事や、
合理性にちょっと物申したくなるものには、
好きのヒントが隠されている。
それを見つけて、大切に育て、
「好きなものは好き」と言えたなら、
不合理な人間の醍醐味を味わえるのかもしれない