昨日、紀里谷和明さんのインタビュー記事を紹介しましたが、もう一つ他者の基準で生きることについて、記事から自分を振り返ってみました。
<目次>
自分が自分自身を納得できるかが全て
彼は、30代で映画監督になりお金や名声を手にして(宇多田ヒカルさんとも結婚して)、世にいう成功を掴み、あらゆる物欲を堪能しイケイケな時代を経て、CDも服も何もかもいらないという自分をそぎ落とす生活に変わっていくんですよね。
まさにミニマリスト。
記事は仕事という軸でどう生きるかが中心ですが、ミニマルライフという視点でも共感できる点が多かったです。以下引用。
外部、つまり自分自身の外側に、自分を幸せにしてくれるものなんてないわけですよ。自分がどう思うのかっていう尺度の問題であって、その尺度がそもそもおかしかったんです。
何歳までにこうあらねばならない、年収はこれだけないといけない。そういう他者基準に引きずられていた30代の頃に比べたら、僕は今、幸せです。一生懸命やっていますから。それは、つらいですよ。でも、自分のことが好きだって言えます。
結局、自分が自分自身のことを納得できてるかってことだと思うんです。ナルシシズムとかそういうことではなくて。自分が自分のことを好きになれるかっていうことが、極めて大きいと思う。
イケてないところもいっぱいありますよ、僕にも。しかし、前よりは自分で自分のことを好きって言えます。
他者基準で生きてきた私の人生
photo by “Stròlic Furlàn” – Davide Gabino
私はモノとかブランドとか世間体を重視して、他者基準に縛られて生きていました。そうしたものに強烈な憧れを抱いてたんです。
若い頃は、素敵な人と結婚して可愛い子供と公園で散歩する生活に憧れつつ、バリバリ稼いでブランド品を持ち、好きなだけ海外に行って好きな時に飲みにいく、というドラマでも早々みかけないような架空の幻想を本気になって探していました。
そこから、モノを減らしもっとミニマルに本質的に生きたいと思い、所有欲に関しての他者基準は以前と比べて驚くほど変わりました。
ただ、モノ以外はどうかというとまだまだ引きづられています。
「レールの上を歩いています!」と大きな声では言いたくないけど、レールの上さえも歩くのに必死なときがあります。「レールから一歩踏み出そう」と思う日もあれば「そんなに頑張らなくても人って生きようと思えばいくらでも生きていける」と自分を慰めることも度々あります。
レールの上を歩き続けてきた自分
私は小6の時に私立中学を受験し、ミッション系の中学校に入学しました。その後、高校・大学受験を経て、学生時代は就活などせずにバイトに明け暮れ、初めて受けた面接で社員2万人規模の大手企業に内定をもらい、そこから十数年間、結婚しても仕事も辞めず、転職もせずに日々働き続けています。
毎日仕事に行き、残業をしながらお金をもらう生活は「他者の基準」に少なからず引きづられていると感じる日々です。
そうした感情が目標やモチベーションに繋がるのも事実ですが、いまのご時世でもなお、他人から見て恵まれていると言われることもあります。
他人の意見は重要ではないと承知していても、そこに心地よさや毒が潜んでいることも理解しているつもりです。
目の前のことに一生懸命生きることと、そのベクトルが自分の人生の正しい方向に向かっているかどうかということは必ずしもイコールではないという危機感を覚えることも多いです。
紀里谷氏はモノをいっさいがっさい捨てたように、そういった自分がどうありたいかを考える上でのノイズを払拭し、自分を突き詰め、その判断を全部引き受けて、真っ向から死に直面するつもりで立ち向かってる感じがします。
ぬるい自分には「共感」ではなく「刺激」でしかない。まるで良薬が口に苦いと思っていたら、それは毒だと言われている気分。
自分とは何か、自由であるがゆえの生きることの難しさを考えさせられます。
哲学者のサルトルはこうした自分で自分の人生を、そして自由を決断することの難しさを「人は自由の刑に処されている」と表現しましたが、そのくらい真の自由とは奥深く、思考を誤ると戻ってこれない気さえします。
モノを手放して、こうしたことを以前より考える機会が増えましたが、これは生きる上で大切にしたい事柄です。刺激も毒も自我に変えたいものです。
そして準備が出来たら、えいっと飛び込むんだ、私だってね。

レールの外ってこんな景色: 若手ブロガーから見える新しい生き方
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