ある日、道ばたで
ある日の朝。家を出て、駅に着いたとき、さっきまで首に巻いていたストールがないことに気がついた。
家を出た時はあったのに…どこかで落としちゃったかな。それとも、寝ぼけて初めから巻いてなかったのかしら。とはいえ出勤途中で引き返すわけにもいかず電車に飛び乗った。
その夜のこと。家への帰り道。自宅マンションの2軒隣の家の塀に、ストールはそっと置いてあった。落とし物は交番へというけれど、落とした場所に置いてくれていたおかげで、交番に行くよりもずっと手間が省けた。
「都会の人通りの多いところでは、こうはいかないだろうなぁ。」
道幅の広い北海道。懐まで広い地域の人の優しさが暖かかった。
幸せは余白に訪れる
(自宅近くの公園)
もしも私に、幸せの種をまく力があるとしたら、
空から見下ろしたとき、何かが足りずに困っている人や、頑張っているけれど助けが必要な人に種をまきたい。自然や人や動物がイキイキと暮らすところでも良い。
モノがいっぱいの押し入れや、洋服がぎゅうぎゅうに詰まったクローゼットに種はまかない。
「幸せは余白に訪れる」
余白があるからこそ、空から舞い込むものを受け入れることができる。
ココロにぽっかり穴が空いたとき
心にぽっかりと穴が空くこともある。
何をするにもやる気が出ないとき。なにもかも、ちっとも上手くいかない。周りの人が順調なのを見て「人と比べる必要なんてないよね」って自分に言い聞かせるけど、言い聞かせながらも、しっかり周りと比べちゃってる自分に気付いたとき。
あるいは、変わり映えしない日常に。
「別に大したことじゃないよー。ちょっと飲んで騒げば忘れてしまう程度だしねー。たまーに思い出すことはあるけど、こんな小さなことでウジウジする歳でもないかんね、大丈夫、大丈夫。だーいじょーぶだって。」
無理することは何一つない。心にあいた穴だって、余白だ。そう思えば、幸せはきっと訪れる。
広い空間さえあれば、いつだって良いものは舞い込むはず。
洋服もカバンも溢れるほど持っていた時、「満たすこと」しか考えていなかった。
余白はムダなもの。多いのが勝ち。少ないのは負け。壊れたら、なくしたら、また買えばいい。そんな風に思っていた。
あの頃の私は、塀にそっと置かれたストールにも気付かなかったかもしれない。