物理的距離と心理的距離
住み慣れた街に友人を案内するとき、少しおどけた調子で「まぁ、此処はわたしの庭みたいなものかな」なんていうのを聞いたり、使ったりすることがある。
それはもちろん比喩的表現に過ぎないけれど、「距離には物理的なものと心理的なものがある」と物理学にも量子力学にも詳しくもない私は勝手に思っている。
例えば、家の隣にコンビニがあればそこを自分の巨大な冷蔵庫だと思うことはそんなに難しくないし、すぐそばに公園があれば文字通り「庭」だと思うこともできる。
現実には所有せずとも、発想を変え所有した気分を味わうことは誰にでも備わっている能力なのではないだろうか。
フラット化する世界で
地方や海外にいてもITで仕事ができ、SNSで情報を発信し、LCCで安く世界を飛び回ることができる現代は、トーマスフリードマン曰く、世界がMサイズからSサイズに変化した「フラット化した世界」と言われるように、モノもコトも気軽に手に入れることができるようになった。
ダイレクトメールもネット広告も、企業からのスタンプつきのLINE通知も、質量は持たないけれど、アクセスした先にはバーチャルではないリアルな商品が待っている。ボタン1つで手軽に商品が手に入るし、ファストファッションは毎週のように新作を売り出す。
モノはいつも私たちのそばにあって、必要なものもあれば、大して必要でないものまで気づけば紛れ込んでたりする。モノとの物理的距離の上手な取り方に悩むヒトは多い。
心理的距離、発想を変える
そうした時に心理的距離を変えるだけで救われることは結構ある。
野球でいうと、バッターボックスに立ったとき良い球(モノ)が来たと思うとつい「今だ、ここしかない。打つぞ(買うぞ)」と思いがちだけれど、実際にはもっと良い球が来る可能性は思ったよりもある。「絶好の球」と勘違いしてアドレナリンが出そうになったら、「いや、もっといい球あるかも」と心理的距離を変えてみる。
いつでも買えるから今は買わない、使いたい時に借りる、別に困ってない、セールになったら買う→でも、しょっちゅうセールをやっているから今じゃなくていい。そもそも何でいるんだっけ?…
こんな風に心理的距離に緩急をつけることで、物理的距離をコントロールすることができると思う。
距離さえも伸縮する時代だからこそ
逆も然りで。家族と離れてNYで暮らす私と夫の距離は実に約10000km、飛行機だと14時間。
ですが、東京と小笠原諸島の距離はたった1000kmなのに片道24時間(飛行場がないのでフェリー、しかも週に1便)かかる(から行ったことはない)。
そう考えると「海外だから遠い」という固定観念さえも考え方次第。SkypeもLINEもある今の時代、WIFIさえあれば連絡を取れる(しかも無料で)と考えれば心理的距離は随分と違うものです(勿論そうは言っても遠いですが)。
遠くの友人、近くの同僚、好きな人や苦手な人さえも、捉え方一つで自由自在…モノは言いよう、捉えよう。動かないものならば、心の中で動かしてみるのも1つの方法だと思います。
ミニマリストの佐々木典士さんが「最小限は伸び縮みする」とブログで書かれていて、なるほど上手いことおっしゃると思った次第ですが、まさに物理的距離も心理的な距離も心がけ一つで伸縮自在と考えると気が楽になるものです。