モノと人生の価値
The Minimalists(アメリカのミニマリスト男性2人組)のインスタに、おもしろい投稿がありました。簡単なワークなので皆さんも考えてみませんか。
ノートにまず「ここ10年で一番高かった買い物」を10個書き出す。
次に、
「今まででの人生で価値があったと思うこと」を同様に10個書き出す(経験とか)。
私も、過去の買い物や経験を振りかえってみます。
この10年で高かった買い物
必死に思い出す。
けど、家は買ってないし、自分の車も持ったことがない。高級家具もない(家電は夫婦のお金から出したから自分で買ったという認識はない)。
10万円代のブランド品の幾つか(お財布、カバン)や、Macbookなどが思いついたけれど、びっくりするような高いモノを買った記憶は浮かばない…。
そういえば以前は、カルティエの時計を買うためにお金を貯めていた。ネックレスをゲットしたら、時計も揃えたくなったのだ。加えて、会社の先輩が「バーキン貯金」をしてたので、なんとなく真似ごとのように始めた。
先輩はバーキンではないけれど確かにエルメスのバッグを買った。私は、結局なにも買わなかった。
カルティエ貯金をやめた理由
カルティエ貯金をやめたのには理由があって、その1つにちょっとしたエピソードがある。
ある時、カルティエの時計(30万円台)をしていた女性が、ちょっとしたトラブルかなにかで、その表面に傷がつき「ちょっと、どうしてくれるんですか!!」とめちゃめちゃ激怒していたのだ。
誰でも怒りたくなるのは当然の状況かも知れないけれど、その時感じたのは「あぁ、彼女はお金にすごく余裕があって、あの時計をしてるんじゃないんだ。必死でお金を貯めて買ったんだ。だから心も激しく傷つき、苛立っているんだな」ということ。
(私も頑張って背伸びして買ったら、あんな風に怒り狂っちゃうんだろうか…)と、考えた。うーむ。
以来、モノはいつか壊れる、だからどんな理由であれ、誰のせいであれ、壊れた時に誰も責めず、惜しくないと思えるレベルが私の身の丈ってやつかしら…なんて思っていたら、幸か不幸か、その後その時計を買う気持ちはスッと引いてしまった。
今までの人生で価値があった経験
脱線したので話を戻すと、2つ目のリスト「今までの人生で価値があったと思うこと」についても考えてみた。
月並みで抽象的な表現も含むけれど、
・ゴールを決めて努力したら願いが叶った
・好奇心を持ってチャレンジしたことが実を結んだ
・家族が増えた
・友達や家族と過ごす時間
・たくさんの旅行の思い出
・読書とか趣味に費やして得た知識や経験
・歯科矯正(通い出して5年位でまだ継続中だけど)
・信頼できる友人などから刺激をもらえた
・ブログで色んな交流ができた等々
上手にお金に換算できそうなものは歯科矯正と、旅行代くらいだろうか。
何にお金を使うか、何に価値を見出すか
高額なモノを買った日が、値段に比例して忘れられない人生の1日になるとは限らない。
当たり前のようで忘れていたことだ。
モノに使ったお金、経験に使ったお金…振り返ってみると、「自分は何に価値を見出すのか」が見えてくる。
人生において価値とは、「時計を買う」といった直接的なことよりも、「買うか買わないかを判断するに至った決定的なエピソード」といった類の方に案外、意味を見出せるものかもしれないと思ったのでした。
▶︎関連記事:最近考える私なりの「豊かになれるお金の使い方」
▽冒頭のThe Minimalistsのお二人の書籍