ガラクタ集めをやめて
先日、久々に寄付をした。
といっても大金でもなければ、現金でもない。格安SIM移行前に使っていた携帯代で、Tポイントが溜まっていたらしく、全額あしなが育英会に寄付してみたのです。
以前はこうしたポイントも、失効すると勿体無いという理由で、全然欲しくもない日用雑貨に変えたり、魅力のないラインナップから強引に欲しいモノという名のガラクタをひねり出していたのを思い出しました。
欲しがりだった自分
もっとさかのぼれば、10代はお菓子のオマケ、雑誌の付録やポスター、20代はホテルのアメニティ、コスメのサンプル、とにかくなんでも欲しかったし、モノだけでなく誰かに何かをしてほしいと言う気持ちも人一倍強かったです。
拍車をかけるように、会社では30代前半で平均年収1000万円オーバーな男性同僚たち、50代でF社の車を持つオジサマ、別荘を持つ人、休暇は海外旅行に行くのがアタリマエ、そうした社内環境で、私の物欲はせっせと磨かれていきました。
それでも昨年、今年と様々な心境変化でモノを減らした私は、そうした環境の中でも徐々に「欲しがらない自分」が芽生えていることに気づきました。
「欲しがらない」で気づいたこと
今も物欲がないわけではありませんが、以前よりも減っています。
「欲しがらない自分」のテリトリーに、余計なモノは入ってきません。ムダなモノは貰わない、増やさない。シビアな網の目を通り抜けられるのは、一握りの大切なモノだけです。
その時、気付きました。
誘ってもらう
励ましてもらう
褒めてもらう
勇気付けてもらう
話を聞いてもらう
一緒にいてもらう
遊んでもらう
会いたいといってもらう
心配してもらう…
そうした誰かの無償の好意は、私のフィルターをスルスルと通りぬけてくることを。
「欲しがりません」とか言って、そりゃそうだ、私は人からたくさん貰っているんだと気付いたのです。正確にいうと本当はもっと前から存在は気づいていたんだけど、欲望のノイズがあまりに巨大で、存在が霞んでいたというのが正直なところ。
差し出す自分へ
そして、周りの人からたくさんの優しさをもらうのが嬉しくて、今年はできる限り自分でも行動してみようと思うようになりました。
誘われる前に誘ってみる、楽しい企画があるなら手伝ってみるetc自分で動いてこそわかる、周りの恩恵って沢山あるものです。
ブログ関連では、2月に無料でファッションのお悩みに答えるクローゼット診断を募集。あっという間に応募が集まり、ネットを通じて誰かの役に立つことができると知り、私自身の変化のきっかけになりました。
その後、骨格スタイルアドバイザーの資格をとり、10月に骨格スタイル診断セミナーを開催。「私にできることなら何でもしたい、それが私の喜びになっている」と確信しました。
他にも、大切な人たちには、ためらいなく自分の時間を差し出したい、頑張っている人を励ましたい、パーティーを企画して喜んでもらいたい、恩返ししたい・・・日々、沸き起こる感謝をできる限りカタチにしていった1年でした。
2017年、更なる自分へ
こうした変化を受け止めつつ、2017年、ある使命感も持っています。
誰かの足元を照らすには、自らがまず自分の足元をしっかり照らしていく必要があると。差し出すだけでなく、自分自身がさらに光を放つために成長していかなければ…とも感じています。
「他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ」(アインシュタイン)
モノを手放し、「自分という枠の中だけを豊かにする」という発想から、人に何かしたいという発想に変わったこと。
それが結果的に、自分の楽しいと思うことや様々な出会いを引き寄せてくれたことは2016年の大きな収穫です。
来年の私のキーワードは「成長」と「貢献」。
この2つを心に留めて、より良い1年にしたいと思っています。
これを読む全ての皆さまへの感謝とご多幸をお祈りしています。