小説『ハピネス』を読んでみた
先日、友達に借りて桐野夏生の小説「ハピネス」を読みました。
桐野夏生は処女作から「東京島」くらいまでが一番は好きです。今回は、雑誌VERYに連載されていたストーリーで興味があり読んでみました。
あらすじ
都心の湾岸沿いタワーマンションに住むママ友達4人。互いを「誰それちゃんのママ」と呼び合い、タワマンのラウンジなんかで毎日仲良く子供を遊ばせる日々。
でも内実は夫の職業とか、高層階の住人の方が格上とステイタスを値踏みしあったり、元キャビンアテンダントの美人リーダーママを中心に、幼稚園のお受験問題とか互いの懐事情を探り合う関係。
主人公は、子供に朝インスタントラーメンを食べさせた日には、我が子に向かって「ママたちの集まりではラーメン食べたこと言わないでね!」と口止めをしたり、賃貸なのに分譲のフリをしたり、本当は新潟出身なのに夫の実家の町田出身と嘘をついてみたり、とにかく「憧れの都心ママ」になろうと、ステキなママたちの仲間はずれにならないように必死な毎日。
でも、実際はみんな見えないところで悩んだり苦しんだりしてる。
幸せの定義
使い古された言い方だけど、「幸せの定義は人それぞれ」
ステレオタイプな価値観に振り回されることの虚しさを痛感しました。
仕事でも趣味でも子育てでも、毎日をキラキラと輝いて生きる
それだけで十分に素敵。
それ以上、何か必要?
年収や既婚か未婚か。
ましてや、人と比べて判断するものではないなと感じました。
人と比べて思い悩むことはない
私も、ずっと人と自分を比べて生きてきたので、主人公の気持ちは理解できます。
いつだって、他人はよく見えるもの。
何かにコンプレックスがあればあるほど、それは強く、眩しく見えるものです。
でも、本当のところはその人にしかわからないし、誰にでも人には言えない秘密くらいあるかもしれませんし、想像上で比較してガッカリしたり落ち込んだりする必要はないはず。
以前にも書いたけれど、人と自分を比べるのであれば「現状」という点ではなく、むしろ「そこに至るまでの過程」の方が良いと思っています。
将来のことは誰にもわからない
独身の友達が「良いよねー、結婚してて」なんて冗談めいていう時に、心の中でいつも思うのは、「今はね、先のことはわからないけどね」ということ。
結婚してもパートナーに互いにこの先何があるかなんて全くわからない。人生の後半に望みを叶える人だって、世の中にはたくさんいる。
今に甘んじず、驕らず、惑わされず、我が道を行くのみ。思い煩うことなく、欲にとらわれず、楽しく生きるしかないと改めて気づいたのでした。
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
「君が日本を変えることはできない。でも自分の考え方を変えることはできるんだよ。世の中に惑わされずに自分をコントロールすることはできる」(ホセ・ムヒカ大統領スピーチより)