LEAN STYLE in ニューヨーク

ミニマリスト主婦の単身NYライフ。自由な生き方、リーンスタイル

モノもコトもヒトも…「どっちでも良い」を飛び越える勇気

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日の浅い友人との会話で

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NYで知り合った友人とドライブに行った時のこと。彼女と会うのは2度目、他にも初対面の彼女の友人たちがいました。

 

郊外に車を走らせ、ワイナリーを巡り、お昼も過ぎた頃。どこでランチをとるかという話になり、運転手の彼女が「お腹が空いているのなら近場に味はまぁまぁだけど、広い庭のあるお店」があるし、「少し遠くても空腹に耐えられるなら素敵なワイン畑のあるお店」もあるからどちらかに行こうと提案してくれた。

 

私の本心は後者。でも、思わず口に出たのは「どっちでも良いよ」でした。

 

それに対し彼女はサラリと 「どっちでも良いが1番困るのよー」と言い、結局後者で決まったのだけれど、その後何度かこのときのことを思い出します。

「どっちでも良い」の誘惑 

自我を押し付けず、相手に選択の余地を残す気遣いのつもりでいった言葉。

 

ですが、ハンドルを握り、次の行き先に舵取りをする彼女からすれば、曖昧な回答は一番困るはず。だからこそ皆んなの意見を聞いたわけですし、意見がたとえ二つに分かれても、それでケンカするほど私たちは幼くない。どっちでも良いは耳触りは良いけれど、特に海外では時には「考える気がない」とも取られかねません。 

 

そうか、素直に自分の意見を言えばよかったんだ。後から気づくことができて、彼女に感謝しています。

 

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(気持ちの良い陽気の中、散々にワインを楽しんだ)

捨てても良いし、捨てなくても良い?

我が家にモノが溢れていたころ、捨てても良いし捨てなくても良い、嫌いでもないけど好きでもない、そうしたなんとも中途半端なモノが沢山ありました。

 

選択を先延ばしにして、もはや考える気すらもない。「どっちでも良い」モノが溢れた空間は、クローゼットや心の居場所をじわじわと占領していました。

 

で、そうしたことに嫌気がさして、ミニマムな暮らししにシフトしたのだけれど、モノを捨てるたびにそうした曖昧にしてきとことと向き合うのが大変だった。

 

選択して行動する

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もし、心の中に自分の意見を持っているのなら恐れず口にし、迷わず行動すれば、もっと誰かと分かり合ったり、新しい世界が広がる可能性がある。自己主張は誰かや、何かを傷つけるばかりとは限らない。

大切なのは、「引き寄せた後!」。そして自分を変えていく

 

主張しないとお互いの良さは伝わらないし、意見がなければ自分が本当に欲しいものや、やりたいことさえも見失っていく。

 

捨てるか、残すか。手に入れるか、見送るか。何が好きで、何が退屈か。

 

いろんな物事に、自分なりの意見を持つ。どっちでも良いは少しだけお休みして、手始めにまずは家にある洋服の取捨選択からでも。

 

意見を持つ習慣がついたら、少しづつ意思表示したり、それに基づいて行動してみる。モノに限らず、やりたいコトや、繋がりたいヒト、なんだって良い。

 

そうやって自分の意見を持ち、オープンに他者と共有したり、自ら進んで行動する。その先に、いつしかワイン畑のようなステキな光景が広がっていくと良いなと思っています。