日常に溢れる選択
NYでは、日本に比べて「選択する機会」が多いと感じています。
例えばレストランやカフェで食事をするとき。
ハンバーガーを頼めば、「チーズは何味にする?パテは鶏、牛、豚のどれがいい?焼き加減は?」と聞かれ、玉子料理では「スクランブル?サニーサイドアップ(目玉焼き)?半熟?」と必ず選べるし、他にもサラダのドレッシングや、フライドポテトの香りづけまで、より自分好みの一皿にアレンジする選択肢が豊富なのです。
(そうして出て来たチーズがブルー、肉の焼き加減はミディアム、ポテトはキノコの香りづけをした絶品ハンバーガー。withブラッディーメアリー)
日本のようにお店の推すシンプルなメニューを味わうのも好きですが、NYでは様々な選択の機会を前にその日の気分でテイストをチョイスしたり、お店のお勧めを聞いたりすることで、自分の判断やその理由を客観的に眺めてみることに愉しさを感じています。
オマカセに飽きたニューヨーカー
選択にこだわるニューヨーカーのエピソードでこんな話を聞きました。
NYでは日本食の人気が高く、特に寿司がとても好まれているのですが、多くの高級寿司店ではメニューはおまかせでセット料金になっていることが多いそうです。
で、近頃のニューヨーカーは寿司のオマカセに飽きて、できればオマカセではなく自分の好きなものだけを食べたい!と単品注文したいというニーズが増えているそう。いかにも食と自由に貪欲なニューヨーカーらしいなと感じました(しかもウニ5貫とか食べるらしいです笑)
選択したいミニマリスト
こうした日常の小さな選択を続けることで、心の中の「好き」や「今の気分」に以前より敏感になっている自分に気がつきます。選択する愉しさは、生活をより自分らしくオーダーメイドに近づけてくれているのです。
多くのミニマリストは、選択する無駄や管理する手間を省くためにモノを減らします。その効力は絶大で、それがあってこそ私は、モノを手放し、長年働いた仕事を辞めて、トランクひとつでNYに来たのだけれど、決して選択が嫌いなワケではない、ということに改めて気付きました。
むしろ、いろんな無駄を削ぎ落とした先にある、自分の選択こそとても大事な人生のエッセンスだと感じています。
モノを手放した後にこそ、自由に選択する愉しさを目一杯味わう。
わたしは、選ぶを愉しむミニマリストでありたい、なんて思っています。