LEAN STYLE in ニューヨーク

ミニマリスト主婦の単身NYライフ。自由な生き方、リーンスタイル

モノもコンプレックスも、きっとただの通過点。「ヘルメット」に宿る思い出

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昔の思い出、原付のヘルメット

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使われていない部屋の断捨離を始めたら、懐かしいモノを発見しました。玉子のようにコロンとしたヘルメット。私は以前、原付に乗っていました。小回りが利くからそのうちまた欲しいなと思ったまま、それっきり箱に入れて夫の荷物に紛れていたようです。そして捨てるときに、ふと懐かしい記憶がよみがえりました。

自転車に乗れなかった私

私は小さい頃、ずっと自転車に乗れませんでした。小学1年生の時、親に「危ないから家の前でしか乗っちゃダメよ」といわれ、練習にもあまり付き合ってもらえず、2〜3回乗っても上手くいかずであっけなく挫折。さらには、友達の自転車の二人乗りで転んで骨折。それ以来、自転車が怖くなったのです。
 
当時、学校では私以外はみんな自転車に乗れました。学級サイクリングのレクレーション企画が私のせいで取り止めになったこともほろ苦い思い出です。
 
みんなが出来るのに私だけできない
 
多感な時期だったためか「私は人より劣ってる」と悲しく感じることもありました。せめて図書館の貸し出しリストでは友達に負けないぞ、と黙々と本を読んだりもしてた時期です。
 

 

 そんな私が、自転車に乗れるようになったのは19歳、大学生の時でした。
大人になり、試しにと乗ってみたらあっけなく乗れました。スイスイと風を切って走るのがとても気持ちが良くて、なんて最高なんだ!と遅咲きに感動したのを覚えています。
 
その駆け抜ける感覚にハマり、20代には原付スクーターを購入。ボロかったし全然カッコよくなかったけど、確か名前をつけて呼んだりして、よく乗っていました。今思えば、自転車に乗れなかったコンプレックスを穴埋めするかのようでした。「今の私は原付にだって乗れるんだぞ」みたいな気持ちが働いていたかもしれません。
 

コンプレックスの手放し方

大人になってもコンプレックスはつきものです。他の人ができる当たり前のことができない自分、忘れっぽい自分、片付けが下手な自分など、人には弱みや触れられたくないところが誰しもあるものです。
 
でも、それってただの通過点
 
以前も書いたけれど、今この瞬間が人生の全てではないから、今だけにフォーカスして人と比べたり、自分にがっかりするのは勿体ないことです。
 
10代の私は自転車に乗れる自分も、原付に乗れる自分も全く想像できませんでしたが、30代には全日本ママチャリ12時間レースにも参加しました。人生って先が読めないところが、面白いなぁとつくづく感じます。
 
そして、どんなに楽しいことでも「あぁなんでもっと早く出来なかったんだろう」と思うのではなく、「あぁ私、大人になってまた楽しいこと見つけちゃった♪」と思うようにしています。

モノがなくても風は感じられる

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そんな風を切りたい欲求にときどき駆られますが、昨年、北海道の美瑛町という青い池(写真)と丘が有名なスポットに行き、レンタサイクルで丘めぐりをしました。

 

自転車にまたがり、丘の上から景色を見下ろしペダルをこぐ。それっと両足を大きく前に伸ばし、風の音を聞きながらピューっと下るその瞬間は、なんだか泣けるくらい気持ちのよい瞬間です。原付も自転車も今は持っていないけれど、こうして風を感じる方法は探せばいくらでもあるんだと思いました。

 

持ち物も、コンプレックスも、きっとただの通過点。私が望むのは、モノでも優越感でも劣等感でもなく、風を感じたときのあのワクワクした感情なんだ。旅とか出会いとか好奇心とか学びとか、いろんな刺激で得られる、そうした「気持ち」の方なんだということをヘルメットが思い出させてくれました。

 

そんなことを考えながら、最後にヘルメットを被り、鏡の前でピースサインをしてみたら、あまりに'へんてこりん’でプッと吹き出し、静かにお別れしました。